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ごますり

2010/07/31

ごまをする匂いは、なぜか夏と結びついている
小さい頃、大きなすり鉢でごまをすらされて
それが夏だったからかもしれない

インターネットでごまだれの作り方を調べていて
ごまをすり続けると、やがてペースト状になって
練りごまになるということを初めて知った
明日はお客さんを呼んで、冷やし中華の会なのだ
パキスタンには、ごまはあるが、ごまだれはないから
もちろん作るしかない。

あのたまらなくいい匂いと共に
汗をかきながら、独りごまをする
7月最後の夜

自己認識

2010/07/30

自分がどう見られているかを通して
人は世界に自分の居場所を確保する
そんな自分を映す存在を
リフレクターと呼ぶそうだ
自らの姿は鏡に映して見るほかないように
確かに、自分自身を通しては
自分を認識することは出来ない
自分ひとりの世界は成り立たないのだ

だから自分がどれだけ沢山の他人を受け入れ
よきリフレクターになったか
それが廻り回って
自分がどれだけ世界によりよく受け入れられるか
ということにつながってくるのだと思う

雨の記憶

2010/07/29

晴れるかに見えた空模様
夜が明けると再びの大雨

降りしきる雨に思い出すのは

響くような雨音の天川村
海からやって来る葉山の雨
宿を探して歩くイスタンブールの夜
泥濘と蛭のブータンの山の中
ストーブで靴を乾かすアンマンの冬

何かを遮断するように降る雨が
次から次へと何かを呼び起こす

雨は何かを伝えようとしている
今はそれがわからなくとも
自分の中のどこかに刻まれて
いつか呼び起こされる何かを

墜落

2010/07/28

今住んでいるところから
2.5kmぐらい離れた山の斜面に
今朝、旅客機が墜落して
152人が亡くなった

朝から降り続いていた雨は上がって
太陽がまた雲間から覗き始める頃
仕事帰りの車の中から
黒く焦げた跡が山の斜面に見えた

変わったことと変わらないこと

2010/07/27

時を経て
何か大きく変わってしまったことと
何も変わっていないことの
両方があって
時間が経ったのだなと感じる

そんなことを
ジョルダンの友達と
チャットをして思ったのだった

モンスーンの頃

2010/07/26

湿度が上がって、かなり蒸し暑くなってくると
ぼんやりとした雲に覆われた空では
耐えられないように雷光が光り始め
やがて空から雨が降りてくる
つかの間隠れた太陽のおかげで
湿った冷たい空気が満ちてくる
そして雲間からすっきりした青空と
刺すような太陽が見えてくるころには
少し空気もからりとして
けれど、また日を置かずに
空気は暖まり、世界は暖まり
青空も少しぼんやりと見えてきて
湿度が上がって蒸し暑くなる

これを繰り返すのが
パキスタンのモンスーン

場の力

2010/07/25

自分ひとりではどうしても
言葉にできなかったことが
人から尋ねられて、初めて言葉にできるという
ことがある

それはとても不思議で
僕はその言葉を口にしながら
ああ、そうだ自分はそう思っていたんだと
同時に気がついている
予め知っていたのでなくて
その瞬間に発見される
けれどそれはずっと
頭の中にはあったのだと思う

それを引き出すのは
きっと場の力だ
そんな場を自分ひとりで作るのは
大変なことだと思う

ちゃぶ台を囲んで

2010/07/24

今日の晩ご飯
鶏肉の味噌焼き
ゴーヤと卵の炒め
ひじき煮
なすの揚げ浸し
鶏御飯
豆腐と大根の葉の味噌汁
冷奴

こんな普通の晩ご飯を
パキスタンで食べた
畳に座って、ちゃぶ台を囲んで
そんな普通でない夜

トイ・ストーリー

2010/07/23

トイ・ストーリー3が
気になってしょうがない
トイ・ストーリー1は
確かヨルダン、アンマンの映画館で
見たような気がする

最初に見たCG映画の衝撃から
もう15年が経って
インターネットで予告編を見ただけで
なぜか、すでに感動している
今は、物語としてのトイ・ストーリーが
気になってしょうがないのだった

スティーブン・ダルドリー

2010/07/22

スティーブン・ダルドリーの作品
2時間程度の上映時間のなかを
なんと濃密な時間が流れていくことか
彼の映画は
Billy Elliot (2000)
The Hours (2002)
The Reader (2008)
の3本。(どれも邦題には恵まれていないように思える)

ある契機までを描いたあとは
そこからの時間はバッサリと省かれ
ラストシーンでいつも「今」が描かれる
そこには残酷も、寛容もあり
求めようと求めまいと
いろいろなものが簡単には整理できない形で
提示される

今という瞬間は、そんな過去から紡がれた
繋がりの末にあることを再認識する
私たちは決して、時間の中には留まれない
それは酷くもあり、慈悲深くもある