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祝福された時間

2003/08/07

午後8時の夕陽は黄金色に輝いていた
高緯度地方の夏
なかなか夜がやってこないから
なかなか一日が終わらない
そんな日の長い夏は、ほんの短い期間しか続かない
この場所にしかない、春夏秋冬のリズムの中に
この場所にしかない、祝福された時間がある。

ナット・キング・コール

2003/08/06

エジンバラで借りた古いフラット
棚にあった古いレコードを聴いてみた
久しぶりに聴く、レコード針の音
古い街の、古いアパートメント
目を閉じたまま、
目の前で演奏されているようなJAZZを聴いた。
日本から遠く離れた場所で、
時間もどこかに移動したように感じた瞬間。
このまましばらくは、
どこにも戻らなくてもいいのだ。

ローマ、フィウミチーノ空港

2003/08/05

早朝の空港は出発の人々でごった返している。
それでもどこか気持ちがいいのは、
今まさに出かけようとする人たちから
うきうきするようなラテンな気分が
伝わってくるからだろうか。
イタリアに来たのは初めてで
トランジットで一泊しただけなのに
体のどこかでわずかにキャッチした
「ラテン」な感覚に
またいつか呼ばれるような気がしている。

富士山

2003/08/04

神輿を上から見下ろしてはいけないように、
この山を上から見てはいけないんじゃないかと思っていた。
外国から日本に帰る度に
いつもきまって眺めてみたくなる。
これほどまでに美しいものが、
国の真ん中に当たり前のようにあるということが
なんだか奇跡のようだ。
飛行機から眺めても、やはり畏れ多い
出発の日に空から見た、夏の富士山

2003/08/03

梅雨が明けて、蝉が鳴き始めた。
外国で暮らしいて、日本に帰る度に強くなる想いは
日本で季節を感じられることの素晴らしさだ。
「今日、蝉が鳴いてたよ。」「夏だね。」
たわいもなくそんな会話が出来て、
何かを相手と共有できる。
それが素晴らしいことに思える。

2003/07/30

東京はまだ梅雨明けせず、今夜も雨が降っています。
雨のほとんど降らない国から帰ってきたせいなのか、
このところ雨の降る音がとても新鮮で、気分良く聞ける。
そして不思議に気分が落ち着いてくるのは、なぜだろう。

2003/07/21

東京に着いたとき、周りの環境が以前と変わっていないことが、何か不自然なことのように思えた。
田舎に帰ってみて、周りの環境が以前と変わっていないことが、自然なことに思えている。
「変わってゆく」ことにも、「変わらない」ことにも、
どちらにも、慣れてはいけないような気がしている。
さて、自分自身については、どうなのだろうか。

2003/07/18

スペイン、アルモドバル監督の「Talk to her」を銀座に見いった。
昨年にロンドンで見たのだけれど、日本語字幕で、言葉が分かると
感情移入する部分も変わっておもしろかった。
しかし、素晴らしい作品だと思う。
恋愛したことのある人は、間違いなく涙するんじゃないだろうか。
そして、涙という感情は、言葉にはできないのだ、やっぱり。

2003/07/16

大きな流れの中にいたのだということが、
澱んで流れが止まったような場所にいる今
よく見えてくるように思える。
世界の成り立っている前提が、いつの間にか変わっている。
それは機内食の、切れないプラスチックのナイフ。
それはいろいろな事件の、語られようとしない部分。

2003/07/12

時差ぼけで、なかなか眠れない。
身体の時計がいつまでたっても切り替わらないみたいだ。
こんなことは始めただけれど、
あの国を発つ時に切れたスイッチが、
ドイツでもずーっとoffのままだった。
日本に来てもまだonにならないのは、
どうしてだろう。