contact of the day

(Edinburgh Festival Fringe) Bears in Space

2014/08/13

アイルランドのグループ
熊のパペットによる大宇宙叙事詩。Papetry(人形劇)という分野は、子供向けから大人向け、コメディーからシェークスピアまで、幅広く定着している、特に昨今はロンドンでのWarHourseの大成功もあってか、Fringeでの演目は確実に増え、勢いのあるジャンルに思える。そういえば、「見たて」という表現手法は日本だって素晴らしいものがあるのに、、と、人形たちに魅入る新鮮な感動を観客から感じながら、少し残念にも思う。
人形遣いが役者のように舞台に立ったまま、パペットを操っているのだけれど、彼らは人形を操作しているのではなく、明らかに役をしかも非常に高いテンションで演じているということに感動する。その役が人形に命を吹き込んでいるのだ。パペットのおかしみと、汗を吹き出しながら熱く演じる人形遣いのギャップをみながら、やがて人が人形を操っているのか、人形に人が操られているのかわからなくなってくる。ストーリーも、ナレーター役のストーリーテラーが、劇中に登場してしまうという、何ともメタな構造で、舞台の虚構と現実の視点が見事に渾然と表現される、それでも楽しい熊たちの宇宙叙情詩なのだった。

(Edinburgh Festival Fringe) KLIP

2014/08/12

デンマークのパフォーマーによる前衛的な舞台。
スーツを着た二人の女性と男性、計4人による、ダンスと楽器(キーボード)、ボーカル、モノローグが混ざり合う。ぶら下がった豚の足、ニワトリの剥製など、脈絡のない小道具たち。
子供の伝言ジェスチャーゲームのような遊びから、構築された舞台は「注意深く選ばれた偶然によるコラージュ」と呼ばれる。
単純な動きの連続や、繰り返される言葉、唄よりも原初的なボーカルのアンサンブルから、不思議な世界が現れてくる。
偶然と遊びで始まる、子供が経験する世界を追体験するような一時間だった。けれどそれらは、見事に抑制されたパフォーマー達の動きによって支えられている。ダンスや歌が参照し喚起するのは外にある世界ではない、見ている観客それぞれの個人の経験なのだ。

(Edinburgh Festival Fringe) FunBags a Go-Go!

2014/08/10

フリンジには毎日見ても見きれないほど沢山の無料のショーがある。
たまたま見ようと思った演目がFreeShowだったのだけれど、座席について始まってみたら何かおかしい。
女性の一人芝居でちょっとシリアスな演目のはずが、3人の女性によるコメディーが始まったのだ。僕は同じ建物の隣の劇場に入っていたのだった。同時刻に始まって、こちらもFreeShowなのだが、もちろんチケットもないので、こんなこともある。
3人の女性たちは歌も演技も素晴らしく上手で、言葉についていけなくても十分に笑えた。しかもこんな質の高いショーが無料というのだから、懐が深い。次々繰り出されるスケッチ(短い寸劇)を見ながら、モンティーパイソンからリトルブリテンまでつながる、イギリスのコメディースケッチの伝統を感じたのだった。

Edinburgh Festival Fringe - (The Reel) Macbeth

2014/08/09

Reelというのはスコットランドの伝統的なダンス。手を上げて、ステップを踏んだり、スキップのような動きで並んで移動したりする、楽しげなダンス。
それがマクベスの悲劇とどうつながるのかを楽しみにしていたのだが、結局、場をつなぐだけのダンスに終わる残念な出来だった。
カレッジの学生たちによるシェークスピアをみながら、役者の身体性というのもについて考えさせられた。
学生であること、若者であることの身体性が、あからさまに見え隠れする限り、舞台の上の世界は現実に引きずられてしまうのだった。そこには悲劇性もなければ、フィクショナルな世界も構築されることはない

もし、The Reelという楽しげなダンスがマクベスの登場人物の狂気とつながるような表現であれば、面白い出来になったのではないかと感じ、余計に残念だった。

(Edinburgh Festival Fringe) - The HandleBards: Macbeth

2014/08/09

一日に2本目のマクベス。昨日のThe Comedy of Errors と同じパフォーマー。昨日の雨模様と打って変わって見事な晴天。受付の女性に、「また来たよ、今日はいい天気だね、演目は悲劇だけれど、」と話すと、「でも十分楽しいわよ」と答えた。
その通り、今までにないくらい笑えたマクベスだった。しかし悲劇は悲劇、決して作品を茶化すような笑いではなく、狂気さえも感じる見事な舞台。
マクベス役の演者だけが、他の役を演じることなく一人マクベスだけを演じ、他の三人が、全てのほかの登場人物を入れ替わり立ち替わり演じる。そのためマクベスという中心人物の演出にぶれがない。レディーマクベスも含めて全て男性が演じるというのも、実はシェークスピアの時代と同じスタイル。シェークスピアのテクストの普遍性と、演出の無限の可能性に感嘆した。こんな演目が見られるからフリンジはやめられない。

Edinburgh Festival Fringe - The HandleBards: The Comedy of Errors

2014/08/08

以前から見たかった、シェークスピアの喜劇。
野外、植物園の芝生の上、たった四人で演じる、2組の双子の取り違えのドタバタ喜劇。一人何役かわからなくなるほどの役を見事に楽しく演じ分ける、見事な役者の技量に、大いに笑った。
最初は傘を差して見ていたけれど、やがて雨は上がり、なんともまあ晴れ晴れしい気分の、双子の再開と、家族の和合の大円団。
4人の役者は自転車に全てを積んでヨーロッパをツアーで回っているという。
もう一度見たいので、早速翌日のMacbethのチケットを買った。
悲劇をどう演じるのか楽しみだ

2014/06/22

ハドリアヌスの長城を訪れた
帝国の名残は
今ではイングランドとスコットランドの境となって
朽ちながらも壁はそこにある

庭の食材

2014/05/20

浅葱、うど、タラの芽を
庭から採ってきて
味噌汁と
和え物と
天ぷらを作った

生命力のあふれる
春の食卓

春の準備

2014/04/03

今までで一番寒かった冬が
やっと終わった

砂漠の国からやってきた僕の車は
マイナス15℃の冬を経験して
さすがにあちこち悲鳴を上げている

ここは山の中なので
なんとか自分で直すほかないけれど
幸い時間はたっぷりあるので
晴れた日には
土の温かさを背中で感じながら
車の下に潜り込む

卒業式

2013/11/27

目的地よりも
その道行こそが
大事だったと気がつく日

Give and Take

2013/08/07

モースの贈与論を読みながら
与えることと取ることについて考える

どちらにも、自分と相手の2者が必要で
さらに2者の関係性に影響する

そして、与えたり、取ったりする「もの」
の存在が欠かせない

自分がこれまでに与えたものと
取ったものを総和すると
プラスマイナスどちらだろうか

生まれた時に与えられた命は
死ぬ時に取られて差し引きゼロになる

僕らはその間にささやかなプラスマイナスを繰り返して
喜んだり悲しんだりしているのだ

clouds and the sun, a summer to remember

2013/08/03

いつになく空の青が深かった日

retreat

2013/08/01

いろいろなものに
煩わされないような
場所に移りたいけれど
そうもいかないとき

僕はまだ
いつでもどこでも
遮断された環境を
作り出せる達人ではないから

つまらないことで
時間つぶしをしながら
その時を待つことになる

場所を変えなくても
待てばその時はやってくる

待たなくても
呼び出せるように
なりたいものだけれど

The World's End

2013/07/29

サイモン・ペグとニック・フロスト
最強コンビのコルネット三部作の
最新作を観る

3作目で初めて
全2作から繰り返される
パターンの意味を知って
笑うことの意味が
全く変わってしまって
なんとも空恐ろしい作品に思えた
到達すべきなのかどうなのか
そんな問いは棚に上げて
映画は「終わり」に向けて、躊躇なく突き進む

繰り返すこと、引用すること
模倣すること、創造すること
ものづくりそのものを
笑いとばしながら
ものを作る

そりゃあ世界の終わりにもなるというものだ

消息

2013/07/25

一年近く消息のなかった
シリアの友人とチャットで話した

無事に生きている
状況は少し良くなり
今は学校で教えていて
一ヶ月したら父親になる

ニュースで知らされる世界や
ネットで語られる世界ではない場所で

彼と再開できる日が
一日も早くやって来ると
いいなと思う