「砂漠に降る雨」LEO

1999/11/18 早朝

流星を見る場所として選んだのは、ジョルダンの首都アンマンから約100キロ東、砂漠(土漠)のど真ん中。近くにはアズラックというかつてオアシスのあった小さな街道の町や、ユネスコの世界遺産にも指定されている「アムラ城」という砂漠に建つ城があったりする。そのほか、ごくたまに、ベドウィン(遊牧民)のテントがとつぜん砂漠のまん中に現れたりする以外は、ほんとうに見渡す限り何もない、360°ぐるりと地平線の取り巻く場所で、3人ぽつりと、しし座の流星群を待った。

0時が過ぎて日付けが変わり、月が西に沈んでも、流星の数は思ったほど増えない。ペルセウス座流星群の極大時ぐらい、ちょうど1時間に50個ぐらいのペースで流れ星が流れる。それでもいつもよりも数はずっと多いのだが、今日は待ちに待ったしし座流星群の極大日で、しかも一部では流星雨がくるのではと期待されている。一方ではあまり過大な期待はしない方がいいという予測もあり、複雑な気持ちで、満天の星空を3人で見上げる予想極大時の3時間前。昨年は極大が19時間早まったこともあって、ひょっとしたらもう極大は終わっているか、今年は大した出現もなく終わるのかと、少し気持ちは暗い方向に傾いていた。しかし、まさかの2時間後、天文学者の人たち、見事な予測をありがとう!そして流星の素となる「ちり」を、地球軌道上にばらまいていった、テンペル-タットル彗星、ありがとう!予想と殆ど違わぬ時刻に、しし座流星群は極大を迎え、しかもそれは砂漠に降る「流星雨」となった。

3時を過ぎた頃から流星の数は尋常でなく増えはじめた。一つ流れ星をみつけて「あっ」といっている間に次の流れ星が流れる、といった感じだろうか。さらに2個、3個、ほとんど連続して流れるようなケースも多くなった。

そしてやがて、空のどこを向いても、その瞬間に流れ星が目に飛び込んでくるという感じになった。満天の星空に流れる、満天の流星。夜空を見上げたら最期、次々流れる流星に全く目が離せない状態になってしまった。

「1分間に5個は流れている」と言って喜んでいたら、1時間も経たないうちに「1秒間に5個ぐらいは流れている」ということになってしまい、もう3人砂漠のまん中で、「あっ」とか「おおっ」とか「うわー」とか感嘆詞だけがひたすら飛び交う、大喜びの大興奮状態となった。

流星の中でも特に明るいものを「火球」と呼ぶが、今回の大出現時にはこの「火球」が思ったほど飛ばず(実際ほとんど流れなかったといっていいぐらい)暗い流星でなおかつスピードが速いものが大変多かった様な気がする。しかし4時頃にはしし座はかなり高く昇り、もう空のどこを見てもこのスピードの速くて暗い「じみ」な流星がエンドレスで飛んでいるという状態だった。それは空一杯の線香花火(特に終わりかけている状態のやつ)を思い出させた。

砂漠の夜はかなり冷え込むのだが、もう寒さを感じている暇は3人にはなかった。そして「ああ、これが流星雨というものか、、」と確かにその「雨」と「シャワー」らしさを体感した。といっても土砂降りとか豪雨という降り方ではなく、「ぱらぱらとした俄雨」という感じで、シャワーにしても蛇口を少しか開いていない感じだろうか。

そんなことは実は後になってから考えたことで、流星雨を見ている最中、僕が考えていたのはまさに「人智」を越えた自然の存在だった。昔の人(今だってそうかもしれないけれど)が見れば、きっと「神様が怒っている」としか見えないだろう。そして、「この世の終わり」というものを実感するのではないだろうか。今、その現象がなぜ起こるのか、科学的に知らされている自分の目から見ても、なにか畏れ多い感じがしたのだった。

記 Masaya.T

「しし座流星群の最古の記録は902年にアラビアで記されたものだそうです。僕たちは、人類が初めてしし座流星群について記録を記した1097年後、33年周期のテンペル・タットル彗星がその後33回に地球軌道を横切った後、同じアラビアにおいて、幸運に恵まれることができました。

17日、アンマンで行われたレセプションの終了後、車を飛ばしてアンマンの東方 100kmほどの砂漠の真ん中の観測地点に到着したのが0:00頃。ここは、アンドロメダ大星雲どころか、黄道光も肉眼でぼんやり見えるような暗闇です。ここジョルダンは、上空の大気が極めて安定しているため、抜群のシーイングの良さを誇り、ほぼ毎日雲がないため、天文ファン垂涎の場所だと思います。望遠鏡で見る惑星の様子などは、1ランク上の口径の望遠鏡を使っているかのように錯覚させます。また、星は夜空に張り付いているものかの如く、ほとんどまばたきをしないというところです。「きらきら星」はほとんどないのです。プラネタリウムのように安定しているこのような美しい星空を眺めながら、流星が死海、じゃなくて、視界に飛び込んで来るのを待ちました。でも、しばらくは流れませんでした。目が夜空に慣れてきても流星はほとんど流れず、今年も期待外れか、テンペル・タットル彗星が遠日点付近で天王星の近くを通過したために塵を失ったのではないかという説は正しかったかと、かなりがっかりしました。

3時くらいまで頑張ってなんとか去年並程度、1分で5個くらいという状態が長く続きました。まあ、一応は並の流星群なら極大と言ってもおかしくない空の状況です。 19世紀の絵に見たような流星の雨はやはり見れないんだろうか、華やかさには欠けるけどこれが今年の極大かなと思いつつ、砂漠の冷え込みに勝てず、防寒具が足りなくなり車に入って温かいお茶を飲んで暖をとっていた時、窓越に見る夜空の様子がおかしくなったことに気づきました。一つの窓から見ただけなのですが光の線が次々とたくさん過ぎていくのです。

外に出てみるとまさに流星雨が訪れ初めていました。というか、より近いものを探せば、線香花火の2番目か3番目で花火の線の下にできる火の玉を中心に雨みたいな火が出ますね、あれに近いと思います。しばらくすると、流れる流星があまりにも多いものだから、どこが輻射点かよくわかるようになってきました。もう、天球のいたるところで次々に流星が生まれては流れて消えていきます。流星痕を残すものも数知れず。 3時半から4時位が極大で、この間は1秒間に5個くらいは新しい流星が生まれたでしょうか。つまり天球が流星だらけです。僕らは、表現のすべを失いました。

報道では1時間数千個と言ってましたが、どうみても控えめすぎと思います。あの場所では極大時には、1時間2万個くらい流れたと計算してます。明るすぎて空に痕が残る流星も数知れず。空の反対側まで明るくするような流星、途中で爆発したかのように輝いて消える流星、煙のようなものを出して流れる流星と、それは流星のカタログみたいでした。こんな夜空はもう一生見ることがないでしょう。
別世界のようでした。

昨晩、落としたコンタクトレンズが見つかりますように、という流星にかけた願いは寛大な神様によって受けとめられ、翌朝、願いはかなえられました。ハムドゥリッラ(神を讃えよ)。

ジョルダン日本人天文クラブは結成されてまだ4ヶ月程度、会員は2人、ジョルダン人特別会員1人ですが大きな実績をあげています。 8月11日の皆既日食観測のためのシリア・ティグリス川遠征・キャンプ、今月初めの木星衝観測会、そして18日のしし座流星群極大の観測。いずれも大成功でした。今後とも、地の利、シーイングの利、天候の利を生かして、天体観測を楽しもうと思っています。」

写真撮影については、火球のように明るい流星があまりなかったため、ずいぶん「じみ」な写り方になってしまった。が、写真によっては2〜3分の露出中に「じみ」ながら10個以上の流星が撮影できたものもあります。比較的、写りの良かったものをアップしますので御覧下さい。

なおこれらの写真をジョル天に無断で使用しないで下さい。

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