皆既日食/1999eclips

「日蝕と世界の終わりの意味」

1.「日蝕」

芥川賞を受賞した平野啓一郎氏著「日蝕」は随分と前に読み、感銘を受けつつもその詳細はもう忘れてしまいました。文語調で書かれている上に、中世南仏リヨンを舞台にパリ大学に籍を置く若者が次第にある錬金術師に傾倒していき、クライマックスは両性具有者に対する異端審問と火刑、そして最後は皆既日蝕のシーンという流れに、極めて象徴的、神秘的な印象を受けた記憶があります。しかし、この小説のクライマックスが何故皆既日蝕でなければならなかったのか、今となっては分かるような気がします。


2.アイン・ディワールへ

天文クラブ会員2名に特別参加の2人(うち一人はなんと東京から参加)を加えた4人は車2台に分乗し、アンマンを北に向けて出発したのが夕刻、国境を越えてダマスカスを経由した頃は日はとっぷりと暮れた後でした。ここからは、対向車が多い上に、真っ暗で、中央分離帯もなく、単調でうんざりするような道が延々と北に伸びます。ほとんど切れそうになったころに初日の宿泊予定地アレッポ到着。もう日付が変わってました。ホテルでは、日蝕観測用フィルターの製作やバッテリーの充電を行う計画でしたが、すっかり忘れて食事をとるのが精一杯でした。

翌日は東に向かい、順調にユーフラテス川に到着。文明の母親でもあるこの川の歴史に思いを馳せ、この夏場に給水が2回しかないヨルダンに住まう者にとしてこの大河にシリアの豊かさを痛感。ここから先は日干しレンガでできた家の集落をいくつも通りながら、一気にトルコ国境にも近いシリア東北部の都市カミシリへ。鮮やかな原色が目に付く服装と昼食のケバブの風味にここはクルディスタンであるということを認識させられます。ここからやや南東に向かい、なんとか計画通り日の上がっているうちに観測予定地アイン・ディワールのティグリス川を見下ろせる崖まで辿り着くことができました。ここは皆既日蝕の中心線からはやや外れていますが、視界が開けており、かつ、ティグリス川を見下ろすというロケーションと、抜群の晴天率から選びました。蛇行して地平線の彼方に消えていくティグリス川は、川向こうにトルコ、下流にイラク、そしてメソポタミア文明発祥の地を擁しています。

どういうわけか一般シリア人立入禁止でしたが(ヨルダン、シリアでは、日蝕の最中には特殊な光線が太陽から出るので失明を避けるために屋内にとどまるべきだなどということがまことしやかに語られており、日蝕の日は日蝕休暇となりました。)、何のためか1週間も前から現地入りしていたという米天文学協会の観測隊のほか、ハーバード大学観測隊、レバノンのTV局(LBC)やらが縄張りを確保して入念に準備をしていました。皆既日蝕観測4回目というヨルダン在住のアメリカ人さん、ご苦労様です。外国人は現地の警察が管理しやすいように一ヶ所に集められました。こう表現すると、厳重な警備体制を想像してしまいますが、警察と言ってもお人好しの田舎のおじさん揃いです。いろいろ話しかけてくるし、しまいには僕らの用意したレジャーシートの上で寝てしまうしで、僕らの本番に向けての準備がなかなかはかどりませんでした。

僕ら4人の観測・撮影機器は、プロミネンス観測用に用意した望遠鏡は五島光学の 80mmED屈折、望遠鏡と共にカメラやビデオも載せた赤道儀は五島光学マークX、双眼鏡2台、一眼レフカメラ3台、8mmビデオ・カメラ1台、デジタル・ビデオ・カメラ1台で、太陽観測用のフィルターはロンドンで入手したND8一枚を大事に加工して肉眼用、各観測機器用に工作しました。ティグリス川をバックにこの機器をセットした僕らの観測場所は皆既日食を観測に来た人たちの格好の記念撮影スポットになってしまいました。


3.天変地異

1st Contactが近づくにつれて緊張感が高まりましたが、待ちこがれた1st Contact はその瞬間がよく分かりませんでした。しかし、双眼鏡で見た太陽の像は着実に欠けていきました。この欠け方は月の満ち欠けとは極めて異なる欠け方で、陰を作っている弧の中心半径がずっと短いです。これは、僕に赤新月(「赤十字」はイスラム諸国では「赤新月」になります。)を思い出させました。50%以上欠けても明るい地上に改めて太陽の光の明るさを改めて認識させられましたが、その一方でこのころから次第に気温が下がってくるのを感じはじめます。

2nd Contactが近づくと、光の面が小さくなっていき、ついには線上の弧になり、今度はその弧が短くなって行き、ダイヤモンド・リングへ、そしてコロナが広がる皆既食へと移行しました。月がきれいに太陽を覆う瞬間、四方の地平線の薄明を残しつつ明るい星が見える程度にぐうっと暗くなり、温度もさあっとひきます。こうした様子は荘厳すぎて自分の貧しい表現力では描写がはばかられます。どんな写真やビデオも奇跡とも言えるこの一連の出来事を表現しきれないでしょう。「ダイヤモンド」の指輪はこの世の中のどんな高価な宝石よりも明るく、美しく輝いていたと断言します。外縁から外側に向かって線上に伸びていく白いコロナは黒い空の背景と相まって、きれいというかどこか別の世界、遠い天体に来て空を見ているのではないかと思わせるようなものでした。地球上にこのような光景が現出するっていうのは全く驚くべきことです。アッラー・アクバル(神は偉大なり。)。肉眼や普通の望遠テレビカメラでは見えなかったはずですが、光球から延びるプロミネンスもしっかり望遠鏡でとらえました。光球から飛び跳ねるプロミネンスも目撃しました。もはや、周りから聞こえてくるのは歓喜と感嘆の声ばかりでした。3rd Contactは、2nd Contactよりもさらに見事なダイヤモンド・リングを見せてくれました。

実際、こんなきれいな皆既日食が見えるというのは地球上に住む者が与えられた特権です。太陽系のどこからでも太陽が他の天体に隠される現象は見れるはずですが、地球で見れるものについては地球から見た月の大きさと太陽の大きさがたまたま同じであったという偶然がなせる芸術です。科学的知識を持ち合わせた現代人でさえこういう衝撃を受けるわけですから、昔の人はこれを見てさぞかし驚愕したことと思います。神か天か何かからの何らかの意思表示だと思ったに違いありません。そう思うに値します。

LBCにインタビューされたり、新聞の取材もたくさん受けて、帰りの道すがら「TV で見たー」とたくさんの人によってこられたのはおまけの話。さらにおまけの話は続いて、恥ずかしながら、僕は、皆既日蝕で熱射病になった世にも珍しい人です。アンマンへの帰路で高熱がでて、ふらふらになって帰ってきて、しばらくくたばっていました。この頃、話題だった例の「ノストラダムスの大予言」はもしかして主観的な「世界の終わり」を意味しているのだろうか、などと虚ろな頭で考えてしまいました。」

記 M.Tanaka

「世界の果てと皆既日食」

I 'd like that
Yes I 'd like that...
I'd like that

ジョルダンの首都アンマンから北上、国境を越え、シリアの首都ダマスカスを抜け、北の街、スークの有名なアレッポで一泊。翌朝は一路ハイウェイを東に進む、このあたりは走っても走っても終わることない地平線、やがて悠久の大河ユーフラテスを越える。砂漠に点在する小さな街も時速75マイルではあっという間に通り過ぎてしまう。トルコに通じるにぎやかな国境の街、カミシリを過ぎると、いよいよ目的地「アインディワール」まで残すところ一時間たらず。同時にやっと皆既日食帯へと入ってゆく。地の果てへ向かう二日間のドライブのBGMはずっとイギリスのバンドXTCの7年ぶりのアルバム「Apple Venus volume 1」だった。7年間待ち焦がれた新譜は、今までに聴いたことのない程、恐ろく心地よく、美しい。渋滞のひどいダマスカスの街も、狭い路地で活気づく市場のアレッポでも、路面を照らすヘッドライトの光以外何も見えない日のとっぷり暮れたハイウェイでも、カーステレオは鳴り続けていた。

Stage left
Enter Easter and she's dressed in yellow york
Stage right
Now the son has died the father can be born
Stand up
If we'd all breathe in and blow away the smoke
New life...

Easter Theatre

国境の街カミシリからシリア北東の端に位置するアインディワールへ、最後に通る街の名前は「マラキーエ」という。ここには一ヶ月前に一人で下見に来た時知り合った友人がいる。彼は歯科医で、その村のクリニックや軍関係の病院などで働いている。奥さんはアルメニア人の小児科の先生。矍鑠とした町役場に勤めるおじいちゃんと、いつも笑みを絶やさないおばあちゃん、弟夫婦、そして彼等の子供達も入れると、10人程の大家族でこの地の果ての街で暮らす。夏は暑いので、みんな家の庭や、建物の屋上、ポーチなどで寝る。一ヶ月前に泊めてもらった時は庭に出してあるベットで、木陰の向こうに星を見ながら、あまりにも心地いい夏の夜を過ごした。寝る前に街を案内してやるから、車に載せてくれといわれ、子供や大人、ぎゅうぎゅうに車に乗り込んで、ゆっくりと、本当にゆっくりとしたスピードで、夜の街をぐるりと回った。そのときにまるでパレードの行進曲のように、カーステレオから流れていたのも同じXTCだった。当たり前の事だけれど、彼等は、昨日も今日も明日も、この街でかわることない日常を生きている。僕はある日突然そのなかにやってきて、彼等のちいさな街に見なれぬ車でくり出して、イギリス人の作った音楽を聴きながら、一夜限りのパレードをするのだ。彼等にしたら、僕のほうこそ地の果てからやってきた者だ。

Tending my fruit
Tending my fruit
Ah you've got to have a hobby
A man must have a shed to keep him sane...

Fruit Nut

彼等と嬉しい再開を果たし、(なによりこんな遠くにやってきて知り合いがいるというのは嬉しいことだ。)そこからさらに5マイル程離れた目的地のアインディワール、チグリス川へと向かう。そこは本当に、それまでどこまでも続くかに思われた道が終わる場所、世界の行き止まりのその先には、チグリス川がゆったりと流れていた。日はシリア側に沈み、月のない夜がやってくる。望遠鏡をセットし、寝転がる、警備兵達はきっと担当が決まっているのだろう、僕らの側から去ることなく、いつのまにかレジャーシートの上で寝てしまう。そしてそのわきで僕達もいつの間にか寝てしまう。頭がぼおっとして、明日起ころうとしている皆既日食の事はどうもピンとこないまま。

Some might think we're bit of a shewer
But this could be our finest hour
We're oh so frivolous tonight...

Frivolous Tonight

はじまりはいつかみた部分日蝕の時と同じだ、太陽はゆっくりと月に食される、 風が吹き、群集はざわめく、ゆっくりとしたダイヤモンドリング、月も地球も、太陽も、世界は休まず動きつづけ、三つの天体が一直線に並ぶ瞬間が訪れる。黒い太陽の周りに広がるコロナ。科学の知識や、記録されたものでは、この信じられない光景を受け入れることができない、怖れか、諦めか、感謝か、いったい何を思えばよいのか、それは今でも分からない。けれど今でもあの瞬間の事は思い出すことが出来る。

Drop us all, you should drop us all
Drop us all and free your hand
Drop us all, you should drop us all
Drop us all like so much sand...

The Last Balloon

西に傾いたいつもの太陽、片づけを終えて、車のエンジンをかけた瞬間、やっと何かが少しだけもとに戻った気がした。「大丈夫、必ずまたくるよ、日食とは関係なく、、、」そう思いながら別れるマラキーエの街。眠気と闘いながら、夜のハイウェイを運転する。もう一度、二日間かけて前にいた世界に戻れるのだろうか。どこまでも心地よくて美しいXTCの音楽。

And you know for a million years he has been your lover
He'll be a million more...

Greenman

記 Akihiro.f

「1999年8月11日の太陽と地球と月」

太陽の周りを地球が廻り、地球の周りを月が廻って、月日は過ぎていきます。私はこの天地の動く時間の中、Ammanで宇宙青年達に巡り会えたことをまず感謝致します。奇しくも観測場所を文明発祥の地に限りなく近いチグリス川の辺りに決めたことは、私を準備段階からわくわくさせました。単にシリアは隣の国で車で行きやすいこと、皆既日蝕の見える帯の中にアイン・ディワールが位置していること、又晴天の確立が高いところであった為の様ですが、私はチグリス川が見れて幸せでした。

当日のチグリス川はきらきらと光を空中に飛ばしながら流れておりました。太陽の日差しの強さにたまらず、タオルを濡らして頭から被りました。格好は悪いけれども、気化熱で頭は涼しく、熱射病の予防には布の帽子より遥かに効果的でした。

観測地には警察の人と外国人ばかりでアイン・ディワールの人々もマラキーエの人々も、動物もいませんでした。他の観測グループの人々に動かされない様に我々の観測機器はしっかりと紐で囲われておりました。記録は月が太陽に接する時から本格的に始まりました。数分ごとの写真撮影ではタイムキーパーが10秒前からカメラマンに声をかけて報せます。1回目のダイアモンドリングから2回目のダイアモンドリングまで興奮しっぱなしでした。この間、コロナ、プロミネンス、周りの景色に時計と、見なければならないものが沢山あって、あっという間に終わってしまったように今でも感じていますが、見るべきものはしっかり見ておりました。特にチグリス川の辺りから見える360度の景色、野、山、川、は暗くなり、体感温度は下がり、遠くに見える野や山や木が明るく、まるで地球に王冠をかぶせたように見えた様子はあそこにいかなければ見られないものでした。下に見えるチグリス川は鉛色で流れが止まってしまった様でした。徐々によみがえる自分達の周りは心が高揚しているだけに強く元に戻っていると感じられ、あの異様な中にもっといたい気持ちと早く元に戻りたい気持ちが相俟っていました。

元にもどる為のアレッポへの帰路はどこまでも続く地平線に向かってひたすら走りつづけなければなりません。それはあたかも沈む太陽を追いかけている様でした。

記 野崎龍江

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